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004 平和大通り 超広幅員街路の
都市ストックは構築から活用の時代へ
広島デルタの中央部を東西に貫く道路。幅員が100mであることから「100メートル道路」とも呼ばれている。名古屋の久屋・若宮大通り、仙台の定禅寺通りなどと並ぶ、日本を代表する広幅員道路だ。(写真#1)

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 平和大通りができるまで
 建設から半世紀。現状の使われ方について
 平和大通りでの景観コントロールの現状
 改良にあたって求められること
 都市ストックは構築から活用の時代へ



■平和大通りができるまで

平和大通りの前身は戦時中に実施された建物疎開(1)による空地だ。非常時ということで、地権者の意向云々とは関係なく強制的に実施された。もっとも実際の空襲は空地などで防げるような生やさしいものではなく、主要都市の市街地は続々と焼き払われていった。一方、広島は終戦間際まで全くの無傷で残っていたため、建物疎開がほぼ計画通り実行され、被爆当日も行われていた。

建物疎開の計画を担当したのは都市計画部局である。おそらく彼らは将来の道路用地・公園用地として計画していた線に沿って建物疎開の指示を出したものと思われ、多くの都市では戦後になって建物疎開の空地を活用し、現代のニーズに何とか対応できる道路網を構築している(2)
米軍が撮影した被爆前の空撮写真を見ると(写真#3)、建物疎開による空地(白い帯状のもの)がはっきりと見て取れ、その空地の多くが戦後の都市計画道路と重なることが分かる。

戦後は平和公園と共に広島のシンボルとして整備された。建設当初は広すぎる街路に「無用の長物」との批判がわき上がったが、次第に受け入れられ、現在に至っている。


#1:世界的にも珍しい超広幅員街路。D/H比に余裕があり、高層化に耐えられる。

#2:平和公園前の「引き」としても機能する。

#3:米軍による空撮(1945年7月25日)(3) 現在の平和大通りにあたるゾーンで建物疎開による空地が見て取れる。また平田屋川(現在の並木通り)での建物疎開の様子も分かる。
■建設から半世紀。現状の使われ方について

おそらく広島を観光で訪れただけの人は、大してこの街路を意識せずに通過してしまうはずだ。
在住者にとっても存在感は必ずしも高くないと思う。5月のフラワーフェスティバルを除くと、移動以外の目的で平和大通りに来る人などほとんどいないはずだ。かくして、幅員は広いのに歩行者が極端に少なくなってしまっている。都市ストックとしての効用を十分には享受できていないのだ。


■平和大通りでの景観コントロールの現状
(now constructing . . .)


■改良にあたって求められること

目標はズバリ、
名実共に広島のシンボル空間に育てること にある。
「パリに行くならシャンゼリゼを歩きたい」 と同様に 「広島に行くなら平和大通りを歩きたい」 と言わせるだけのブランド力を与えたい。現状のメインストリートである相生通りと本通りの商業集積は今後も圧倒的であるだろうが、それとは違う豊富な都市ストックを活かした商業空間も同時に成立しうるのではないか。
少なくとも平和大通りにLRTなりAGT(新交通)なりが開通すると平和大通り沿いへの商業集積が進むのは間違いないわけで、先手を打ってまちづくりのルールと組織を用意すべきではないかと思う。

具体的には…
●交通容量増強のため、車道は片側三車線化とする。副道は全面見直し。歩道は10m以上に拡幅。
●高齢化に対応した来街手段としてLRTを敷設する。軌道系交通の開通は商業集積の起爆剤となる。
●ヴィスタを考慮し、植栽は高木主体とする。(参考:写真#11)
●景観地区により色彩・形態・壁面位置などを定める。(緊張を求められる平和公園周辺と、賑わいを求められるセンターコアでは、別の規制を適用する)
●1階は原則として商業とする。
●広い歩道は活用を前提とする。オープンカフェの集積を行い、賑わい創出を狙う。
●大通り沿いでは適度の高層化を行い、他地区の高層化を抑制する。

平和大通りの改良については行政の側もその意向を持っている。ただ、建築に疎い道路部局主導となるのはリスクが大きい。一般に「インターロッキング舗装(写真#9)」やサインカーブでグネグネ曲がる「勘違いボンエルフ」を美しいと評する土木技術者の美的感覚を信用できないためだ。
外部からマスターアーキテクトを招聘して、景観・建築・道路・企画の各セクションが十分に連携することが必要といえる。



#4:平和公園との接合部(写真#2と同じ場所)。ここは例外的に、暖かみのある賑わいよりも緊張した静かな空間を指向すべきだろう。具体的には建築の色彩規制と屋外広告物(看板)の原則禁止は必須。現状行われている要綱行政からステップアップする判断が求められる。

 #5:副道を車が通ることは少なく、駐車場として利用されている場所も多い。この空間を上手く使いたい。

#6:せっかくの緑地なのに人影は少ない。植栽も雑多で統一性に乏しい。

 #7:現状では要綱による景観コントロールが行われている。ただし低層部の空間作りまでは誘導しきれていない。

#8:広島のメインストリート。スカイラインは揃っているがお世辞にも美しいとは言い難く、歩道幅員などの空間的余裕もない。さらに地下街建設によって賑わいまでも奪われてしまった。

 #9:互いの連携が取れず、歩道の一箇所に複数の模様が集まってしまっている。これを「美しい」と評価する土木屋の美的感覚は信用できない。これならまだアスファルトの方がマシだ。

#10:西新宿のケヤキ並木。ビル風対策が主目的だが風景としても魅力的。

 #11:仙台の定禅寺通り。やはり広幅員街路には高木が似合う。
■都市ストックは構築から活用の時代へ

一つ注意しておきたいのは、広島はストックを「持っていない」のではなくて「持っているけど使えていない」だけであり、東京のような絶望的な状況(参考:写真#12)とは違うということだ。
広島は環状道路の不備などの問題が山積みとはいえ、デルタに限ると平和大通り等の良質な都市ストックを既に持っており、用地買収などの追加投資は不要だ。確かに東京ほどの莫大な経済力はないが、ここに集中させることで、やりようによっては世界トップクラスの美しい大通りを実現可能ではないかと思う。

#12:あまりに有名な東京・日本橋上空の首都高。戦災復興が計画通りに成っていればこんな悲劇は生じない。破綻した都市計画のツケを払わされていると言えよう。

 #13:東京・表参道。こういう美しい街路というストックがあってこそ魅力的な店舗集積が起こる。いわば上からの都市計画が実を結んだ例である。行き場のない巨大資本はこういった数少ない良質(マトモ)な街区に殺到してくる。
[補注]
(1) 広島の建物疎開に関する研究論文としては、参考文献 1) などがある。
(2) 広島や名古屋が建物疎開の空地を使って道路網を構築したのに対し、東京ではその利用に失敗している。詳細は参考文献 2) を参照されたい。
(3) 写真#3は平和資料館内の展示を撮影したもの。

[参考文献・サイト]
1) 石丸紀興(1989)「建物疎開事業と跡地の戦災復興計画に及ぼした影響に関する研究」日本都市計画学会学術研究論文集24 pp619-624
2) 越沢明(1991)「東京都市計画物語」日本経済評論社
作成:2005/1/29 最終更新:2005/6/11
作成者:makoto 使用カメラ:Nikon D70, Canon PowerShot G3
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