|
 |
|
部外者がとやかく言うべきでないのはごもっとも。
でも、一つ明らかなのは、架橋すると街は確実に沈む。 |
|
今、この小さな街が20年来続く架橋問題に揺れている。公共性とは何か、文化的価値とは何か、地霊とは何か等、非常に多くの示唆を与えてくれるテーマなので、後半で詳しく語ることにしたい。
まずは鞆の歴史的景観について。
鞆(とも)は尾道と同じく瀬戸内海の水上交通における要衝で、江戸時代まではかなり繁栄していた。戦災を免れたおかげで江戸時代の町割がそっくりそのまま保存され、現役の港湾都市として使われ続けている。伝建に指定されているわけではない(1)が、全国的に見ても極めて貴重な存在と言えよう。
鞆には歴史的建築の集積はなく、ごく普通の民家がほとんどだ。にも関わらず鞆が注目されるのは、雁木を始めとする近代以前の港湾施設が現役で使われている点にある。使われているが故に、うっとうしい柵もなく、ごくごく自然に味のある港湾景観が形成されている。景観を演出し過ぎて失敗してしまった(と私は思う)門司港レトロ地区の港湾とは対照的だ。
水辺の景観演出で大切なことは、人間のスケールに見合った規模で作ることと海の仕事を感じさせること。一時期流行った”ウォーターフロント開発”で欠如しているのはまさにその点なのだと思う。
|
|
|
鞆
Tomo |
|
|

16:鞆港の雁木。現役の港湾景観こそが鞆の魅力だ。
(写真の番号は、地図と対応しています) |
|

07:いろは丸展示館と常夜灯を対岸から見る。この風景的な調和は十分に魅力的。当初は常夜灯の目前に架橋するプランだったというから呆れるばかりだ。 |
|

12:展望台から見た鞆港 |
|

17:対潮楼(福禅寺)から弁天島を見る。部屋の奥で正座して撮影した。歪んでいるのはレンズのせい。 |
|
鞆が誇るもう一つの風景は、港湾とは反対側の、弁天島・仙酔島が形作る自然景観だ(18)。この風景を愛でるために作られた装置が対潮楼。潮待ちのためにこの地に立ち寄った朝鮮通信使(2)は対潮楼からの眺めを「日東第一形勝」と絶賛した。
額縁庭園と同様、部屋の奥から眺めるのが本来の鑑賞法とされる。部屋の奥から眺めると顔を動かさずに絵画として風景を愛でることができる(17)。
|
 |
|
|
|
|

01:沼名前神社 |

02:山中鹿介首塚 |
|
鞆は先に書いたように二種類の水辺の景こそが特徴であるが、街歩きも楽しい。
歴史的建築物が集積しているのは「いろは丸記念館」から北側に広がるエリア(10)で、残りは各所に点在している。市街地の大部分では、ごく普通の民家が江戸の町割の上に建ち並んでいる。
地域の停滞は深刻だ。中心市街地活性化などというレベルではなく、商業活動そのものが破綻しかけていると見受けられる。町並み保存が進んでいないので、伝建によくある観光客向け店舗は「保命酒(05)」を除くと皆無。大量の空き家が発生しているようだ。
この場合、既存の町並みを使った観光業をテコに地域浮揚を計るのが常套手段であるわけだが、これがなかなかうまくいっていない(理由は後述)。 |
|

03:いつも混み合う道路 |

04:理髪店だった建物。これは再利用できそうだ。 |

05:保命酒の看板 |

05:保命酒(市指定重文) |

06:保命酒タワー(勝手に命名) |

07:いろは丸展示館 |

08:常夜灯 |

10:いわゆる「歴史的町並み」なエリア |

11:船具店。こういう店舗が成立するから面白い。 |

13:美しい…のとは違う魅力がある。 |

14:鞆の津の商家(市指定重文) |

15:いい感じの商店 |

19:海の家のような渡船乗り場。渡った先の仙酔島に海水浴場があるため。 |

03:小型車でもすれ違いは困難。 |
|
|
|
|
|
|
|
|

現況。これでは通過交通を処理できない。 |

埋め立て+架橋のプラン。港湾景観にとっては致命的だ。 |
|
町並み保存(伝建など) |
| する |
しない |
| 架橋 |
する |
イ |
ロ |
| しない |
ハ |
ニ |
|
 |
こういう構図になっている。
行政はイまたはニという立場。
行政 : イ or ニ
架橋賛成派住民 : イ
架橋反対派住民、多数の部外者 : ハ |
|
|
|
|
|
鞆は伝建になる資格があるにも関わらず伝建になっていない。ここ20年ほど論争が続いた架橋プロジェクトのためである。
鞆は戦災を免れたため近代的な街区が全く整備されていない。地図を見てみると、上方と左方から太い道が来ているのに湾のところで途切れていることが分かると思う。このため通過交通が町中に流入してしまい、各所で大渋滞が発生している。行政は道路を拡幅することにして1950年(!)に都市計画決定したものの買収は進まず、しかも近年そこが歴史的町並みとして評価されてきたため、拡幅は一層困難となった。そこで代案として湾の一部を埋め立てて残りを橋で渡すことにしたのである。道路建設と同時に伝建に指定して修景工事を施し、竹原のような観光地に育てるのが行政側の思惑であった。
ところが、鞆は港湾景観こそが魅力であるわけで、雁木を破壊して埋め立て架橋しては最も魅力的な景を破壊することになる。そう考えた一部の住民と多数の部外者(学識経験者など)が騒ぎだし、計画は暗礁に乗り上げてしまった。行政は「橋ができなければ当初案通り道路を拡幅するため、歴史的町並みを保存することはできない」との主張を変えず、架橋と伝建をセットとした。
架橋賛成・反対の睨み合いは20年も続き、その間道路事情は変わらず、町並み保存もできず、空き家が傾いていくという苦しい状況に陥ってしまった。 |
2003年9月、福山市は埋め立てに必要な「排水権者の100%同意」が得られないと判断し架橋を事実上断念すると発表した。となると、「架橋はしないが町並み保存もしない」ことになる。だが、住民は賛成反対で割れたものの町並み保存に反対する者はいなかったわけだし、町並み保存には行政の支援(主として修景資金の援助)が不可欠だから、このまま町並みを崩壊させては全ての人にとってアンハッピーな結果となってしまう。
…さて、今後どうするか。道はいくつかある。
1:行政が都市計画決定のやり直しをするケース。不可能ではないが、賛否両論が拮抗した状態では極めて困難。知事が代わればどうにかなるかもしれないけどね…。
2:福山市が自己資金で町並み保存をするケース。
3:橋の代わりにトンネルを建設するケース。土木屋が技術的に不可能と回答したらしいが、こういうときの”技術的に不可能”はあてにならないこともある。何とかならないものだろうか。 |
この街が抱える問題は全く解決していないのだが、ともかく、失われると覚悟していた港湾景観が当面残ることになったのは無責任な部外者としては喜ばしいことだ。古くからの景勝地ではあるが、倉敷のようにテーマパーク化しているわけでもない。俗化されてない町並み愛好者には特におすすめできる。仙酔島も含めれば一日過ごすことも可能なので、ぜひ田舎時間にどっぷり浸かってみてはどうだろうか。

のんびりとした時間が流れる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
[行き方ガイド]
|
|
|
 |
|
ガラガラの市営駐車場が使えるので、車でも大丈夫。ただし市街地の通り抜けは一苦労。 |
|
|
|
 |
|
JR福山駅から鞆行きのバスで30分ほど。意外に便数が多い。 |
[補注]
(1) 2003年8月現在。
(2) 朝鮮から江戸幕府に送られた使節団。家康は朝鮮出兵で悪化した朝鮮との関係修復に努め、両国の関係は概ね良好に保たれていた。
[参考文献・サイト]
1) 西村幸夫ら(2003)「日本の町並みII」平凡社 別冊太陽 pp42
2) 2003年9月4日付「中国新聞」 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn03090406.html
3) 郷愁小路
|
|
|
|
|
 |
作成:2003/9/5 最終更新:2005/7/9
作成者:makoto 使用カメラ:Canon PowerShot G3 |
|
|
|
|
OTHER REGIONS INDEX |
|
|
|
| (CC) arch-hiroshima 2006 |
 |
|
|
|