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| 島に残る遺構を見る |
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似島学園およびその南側に広がる旧陸軍の遺構。
日清戦争時に陸軍の一大拠点となった広島(くわしくはこちら)には戦争終結と共に軍隊が続々と帰還することになったが、大陸から伝染病を持ち込まないよう、兵士を一定期間隔離して経過観察し消毒する施設(検疫所という)が必要となり、宇品に近いこの地が選ばれた。かの後藤新平が建設の指揮を執ったという。
後の第一次大戦時にはドイツ人収容所として使われた。カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンを焼いたのはこの地と伝えられる。
南側には弾薬庫跡(建物はない)と土塁が残っている。この土塁は爆発事故に備えたものと思われるが目隠しの意味もありそうだ。こちらはレンガではなくコンクリートが多用されているので昭和初期頃であろう。トンネルの底にはトロッコの軌条(レール)跡が見られる。
まだ現地を回っただけで感想レベルのことしか書けていないので、文献調査をしながら随時加筆したい。
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似島の旧軍施設
Former Military Facilities in Ninoshima |
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#1:荷揚げ用の桟橋跡。先端はデリック(クレーン)の基礎部分と推定される。正面奥に元宇品やプリンスホテルが見える。 |
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2:土塁を貫通するトンネル。コンクリートということは昭和初期か。 3:土塁に囲まれた空間。ここに弾薬庫があったらしい。 4:土塁に登ってみる。人の手で作られた地形だと分かる。 5:土塁の周縁部。 6:歩哨の待機所と思われる。 7:コンクリートの構造物。内容は不明。 8:溝にレンガが貼られている。水道かもしれない。 9:これも土塁のトンネルの一つ。レンガ造ということは明治期の遺構と推測される。 (写真2〜9はクリックすると拡大表示します) |
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#10:似島学園に掲示されていた写真(1996年撮影)。土塁の形がよくわかる。似島学園はこの上方に広がっている。文字は筆者による。 |
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[参考文献・サイト]
1) 奥本剛(2009)「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック」
[行き方ガイド]
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旅客船: 広島港(宇品港)より「似島学園前桟橋」行きの船に乗る。似島には複数の桟橋があるので間違えないよう注意。 |
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作成:2011/12/15 最終更新:2011/12/15 作成者:makoto 使用カメラ:NikonD90 |
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| (CC) arch-hiroshima 2006 |
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