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| 知る人ぞ知る、禅宗様建築の良作。 |
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広島デルタの北端、旧街道沿いに建つ寺院。前身は足利氏が国ごとに設けた安芸国安国寺(臨済宗)と言われている。戦国時代、安芸国の守護であった武田氏が滅亡すると寺も衰退したが、代わって安芸国の領主となった毛利氏の使僧、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が住持を務め、寺を再興した。恵瓊の死後(1)、毛利輝元に代わって広島城主となった福島正則の命で真言宗に改める際に名称が安国寺から不動院に変わり、仏殿は金堂と改称された。
金堂(photo#1, #4, #5)は国宝に指定されている。元々この建物はこの地にあったものではない。山口(2)において大内氏が建立したものを、天正年中(1573-92)に恵瓊が移築させたものである。
この仏殿は大内義隆が先代の義興のために創建した凌雲寺仏殿と推定される。鐘楼も他所より移建されたものであるらしい。
日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp166 より引用
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この金堂は現存する中世禅宗様(唐様)の金堂としては日本最大であり、京都や鎌倉の寺院建築と肩を並べる良作だ。往時の山口の繁栄ぶりを伺い知ることができる遺構といえよう。
これらは戦災を生き抜き、歴史を感じさせる建物が少ない広島では極めて貴重な存在となっているが、訪れる人は少ない。 |
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不動院金堂
Main Hall of Fudoin (buddha temple) |
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 #1:右側が金堂 |
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 #2:楼門(国重文・1594年) |
 #3:鐘楼(国重文・1433年) |

#4:金堂内部 |

#5:金堂のファサード |
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[補注]
(1) 恵瓊は関ヶ原の戦いの後、首謀者として京都六条河原で処刑された。
(2) 戦国時代の山口は、海外貿易を独占した大内氏の本拠地として隆盛を極め、戦乱で荒廃した京都から多くの貴族が移住。また雪舟をはじめとする芸術家やフランシスコ・ザビエルら宣教師も長期滞在している。まさに京や堺をしのぐ都であった。その後大内氏は重臣陶晴賢(隆房)の謀反によって事実上滅亡、さらに陶晴賢は毛利元就に厳島合戦で討たれ、山口は幕末まで毛利氏(長州藩)の支配下に置かれる。
[参考文献・サイト]
1) 宮本和義+建築知識編集部(2002)「中国・四国を歩こう!建築グルメマップ2」
エクスナレッジ pp10
2) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp166
[見学ガイド]
アストラムライン「不動院前」駅から徒歩3分。見学自由。通常、金堂内部は見ることはできない。
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作成:2003/3/14 最終更新:2003/8/12
作成者:makoto 使用カメラ:Canon PowerShot G1 |
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NORTH DELTA INDEX |
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| (CC) arch-hiroshima 2006 |
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