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EAST DELTA INDEX
日本ではついに普及しなかった「ロの字型」集合住宅。
同潤会アパートに見劣りしない隠れた名作だ。
DATA
■設計:広島県住宅公社
 (現在の管理者は広島市)
■所在地:広島県広島市南区
■用途:集合住宅
■竣工:1954年(昭和29年)12月
■規模:延床3762.54平米(標準住戸で22.4平米)
■構造:RC造 地上4階

※住宅であるため位置の詳細は記しません。広島駅周辺とだけ書いておきます。広島市サイト内の「広島市南区みどころガイド」に地図が載っているので、そちらをご覧ください。

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広島駅にも近い市街地に建つ市営住宅。
台形に近い街区の大半を使って建てられており、建物を敷地の真ん中に置くのではなく周縁の道路に寄せることで中庭を確保している。これは「ロの字型(街区型)配置計画」と呼ばれる(*1)タイプで、国内にほとんど例のない建て方である。日本ではボリュームを街区中央部に配置し壁面を街路から後退させることを理想として法律が作られているが、ヨーロッパではむしろロの字型が標準であり、それを前提に法体系が構築されている。写真#2にあるバルセロナの空撮写真を見ると、旧市街はゴミゴミしているが、都市計画の手が入った新市街はロの字に統一されていて、沿道の街並みがビシッと統一されていることが分かると思う。


「定番」に縛られる前の集合住宅

1階の住戸は外周と中庭の両方からアプローチできるよう設計されており、また屋上には洗い場が設けられていた。(写真#10) 中庭では自然と住人同士の交流が生まれ、屋上では(設計時に洗濯機は普及してなかったので)井戸端会議が開かれる。設計者はこれらをコミュニティ形成の場として計画したのだろう。
設計は広島県住宅公社が自ら行ったと思われるが、出窓を強調した外観デザインは同潤会の影響を強く受けていると見られ(当時は同潤会くらいしか参考事例が無かったのだろうと推測する)、進んだアパートの必須アイテムであるダストシュートらしきものも設けられている。バルコニーがないのもいい。

注目すべきは設計された時期だ。京橋会館は1954年の竣工だから、設計は「公営住宅標準設計51C型」が策定された1951年とほぼ同時期で、日本住宅公団が設立された1955年より前ということになる。つまり、焼け野原で雨風を凌ぐだけのバラック住宅の時期を脱しつつあり、かといって画一的な「団地」が大量供給されてもいない、誰も答えを見出せてない微妙な時期に設計が行われたわけだ。(*2) 現在なら「まぁ全部南向きで片廊下でスパン割りをこのくらいにしておけば効率的だしよく売れるだろう」などと安易な設計をしてしまいがちだが、当時そういう「定番」はなく、設計現場では試行錯誤が続いていた。だからこそ「定番」に縛られた現代の目から見ると新鮮に写るのだと思う。


なぜロの字型は普及しなかった?

集合住宅黎明期には「ロの字型」「コの字型」といった中庭を備えた建物も建てられたが、私達が普段目にする”マンション”にそのようなタイプのものはない。日本人は南面信仰が強いのでどうしても北を向く住戸ができてしまう「ロの字型」は受け入れられなかったというのが、よく語られる理由だ。
ただし、京橋会館の中庭空間が駐車場としてしか使われていない現状を見ると、やはり日本人は中庭の必要性を認識していないと思わざるを得ない(写真#3, #12, #13)し、それも「ロの字型」普及を阻んだ大きな理由だったのではないだろうか。
これは突き詰めれば公共空間に対する日本人の考え方という話題につながっていくと思う。


ロの字型の希少価値

有名な同潤会江戸川アパートも「コの字型」だったわけで、これほどきれいな「ロの字型」アパートは実は日本全国を見回してもほとんど残っていない。集合住宅のことを調べれば調べるほどこの建物の希少価値が見えてくるわけだが、残念ながらまだその価値は一般には知られていない。「知られざる名建築」のまま消えていくのはあまりに惜しいので、せめて現況を図面化するなど、後世に残す作業をして頂けないものだろうか…。


京橋会館の再開発について

既に新聞等で報道されているように、広島市は京橋会館の建替えを進めている。事業手法は都市再開発法に基づく個人施行の市街地再開発事業で、容積率は高度利用地区で緩和するようだ。民間施行者を公募し、権利者である広島市は権利を金銭に換えて転出し、完成後の建物のうち一部を買い戻して引き続き市営住宅とする。なぜ権利変換ではなく転出なのかはよく分からないけども、市は自前で市営住宅を建て替えるだけの財政的な余裕がないというのは確かなようだ。
民間施行者の募集は2007年末から始まったが、近年の工事費高騰の煽りで事業の採算が合わず、2008年4月現在で選定は中断となっている。となると選択肢は…。

  1. 従後の床価格を上げる。(=工事費の増分を市が負担する)
  2. 採算が合うように容積率を緩和する。
  3. 現在地での市営住宅確保を断念して土地を売却する。
  4. 建設費が下がるのを待つ。

敷地規模や道路幅員を考えると高度利用地区のスキームで大幅に容積を積み増すのは難しいと思われるので、このままだと最も理屈が立ちやすい選択肢3になりそうな気がする。

民間の建物なら、財産権を主張されてしまうと一気に保存が難しくなるのが実情だが、これは市が管理する住宅であり、残したからといって生活に窮する地権者がいるわけではなく、この点において同潤会アパートとは事情が違う。戦後の住宅史を表した遺産の文化的価値を認め、民間にはできない(赤字必至の)文化施策を担うのもまた行政の役割であると思うのだが、どうだろうか?


京橋会館
Kyobashi Hall
[注意] この建物にはまだ住民が居られます。見学に際しては、住民および近隣の方々に迷惑となることのないよう、十分に配慮して行動してください。
このページにおいて意味のない「取り壊し反対」を煽る意図はありませんが、価値ある建物が失われることはやはり残念であり、その価値については述べていきたいと思います。

#1:ロの字型(街区型)の強みの一つは、このような街路沿いの街並み形成にある。
#2:バルセロナの空撮写真(絵葉書をスキャンしたもの)。ロの字型の住棟配置が徹底されていることがよくわかる。日本の都市計画は空地を街区内ではなく外周部に作るのを前提としているので、このような街並みが形成されることはない。
(右図のAが欧州型でBが日本型)

#3:ロの字型(街区型)のもう一つの強みは、中庭を確保できる点にある。京橋会館の中庭もヒューマンスケールで居心地の良い空間になっているが、これを駐車場にしておくのはあまりに惜しい。これではヨーロッパ人から「日本人は中庭を全然分かってない」と言われてもしょうがない気がする。

#4

#5

#6

#7

#8

#9

#10
:屋上洗い場の跡

#11

#12:1階の住戸は中庭からアプローチする。

#13:写真#12とほぼ同じ角度を屋上から撮影。

#14:年季の入った案内板。中庭は台形をしていて、グラウンドレベルの3箇所からアプローチできる。

#15:京都の「新風館」。古い電話局から商業施設に生まれ変わった。
仮に建て替えずにリノベするのであれば…

ほぼ可能性はゼロではあるが、ここでは仮に建て替えずにリノベーション(改装)で対応することを勝手に考えてみる。
まず、ボロボロの外観を見れば分かるように、建設以来メンテらしいメンテを受けていないものと推測する。RCは適切に手入れをしていれば100年以上使えるが、現状では躯体の性能(つまり耐震性)低下がかなり進んでいると思われる。ちなみに京橋会館より古い1949年竣工の平和アパートは改修工事を受けていまだ現役だ。

京橋会館の場合、問題は躯体だけではない。浴室がないなど、設備面や間取りについても現在のニーズとかけ離れている。実際に住んでいる人に言わせると「こんな不便な建物より普通のマンションの方が断然良い」となるだろう。だが、居住環境は(お金さえかければ)改善するメニューがいくらでもあるし、何よりこの中庭空間は欠点を補って余りあるだけの魅力を備えている。住戸面積を広げ、設備を更新し、耐震補強をしてきれいにペンキを塗り直したら、私ならぜひ住んでみたい。

中庭を備えたリノベと言えば京都の新風館(写真#15, #16)が有名だが、京橋会館の場合は階高が低いのと、住戸間の壁を抜きにくいと思われるので、商業やオフィスとして使うのは難しい。となると、部屋を小さいまま保てるホテルまたはサービスアパートメントが適当だろう。例えば外国人旅行者・留学生をターゲットに、大学などと共同でプログラムを作るなど、やりようによっては活性化施設になりうると思う。
保存にあたっては、文化財だと何かと面倒なので、景観法における「景観重要建造物」がよいだろう。景観重要建造物は指定のために歴史的価値が問われることがないし、必要に応じて建築基準法の不適合箇所を緩和することができる。

最大の懸案であるリノベの費用については、以前このページで「まちづくり交付金のおこぼれ案」を書いたが、さすがに荒唐無稽なので、「容積とばし(*3)」で未消化容積を駅前あたりに移転させてまかなう…のでどうだろうか。どの程度未消化容積があるのかはチェックしていないが…。



#16:新風館の中庭空間はイベントスペースとして使える。京橋会館とは規模も階高もスパン割も何もかも違うので、参考程度ということで。
見に行くなら今のうちに

2008年4月現在、まだ京橋会館の行く末は見えていないが、今のままでは取り壊しは時間の問題と言わざるを得ない。もし広島または近県で建築の勉強をしているのであれば、住民および近隣の迷惑とならないよう注意しながら、ぜひ一度現地を見に行って欲しい。それだけの価値のある建物だと思う。
[補注]
(*1) 中庭を備えた集合住宅の事例は多いが、ほとんどがコの字かL字である。確かに「幕張ベイタウン・パティオス」はロの字であるが、今どきの仕様の建物であり、良い意味で狭苦しい京橋会館とは空気感がまるで違う。
(*2) 戦前にRC造の集合住宅を大量供給したのは同潤会くらいのもので、圧倒的多数の日本人は木造低層の伝統的家屋を住まいとしていた。戦後になってまず公営住宅が建設され、1951年に提唱された「公営住宅標準設計51C型」では初めてダイニングキッチンなるものが登場し、食寝分離(食事室と寝室を分離する)が進められた。さらに1955年には日本住宅公団(現在の都市再生機構)が設立され、中所得者向けのいわゆる「団地」が続々と建設された(公営住宅と公団住宅は全く別物なので注意したい)。現在では公団に代わって民間のデベロッパーが「マンション」と称する日本型の集合住宅を供給している。
(*3) とても簡単に言うと、歴史的建造物を保存する代わりに、その建物が消化していない容積を別の土地に移転させることで、歴史的建造物の保存を促すこと。発想の元祖はアメリカのTDR(Transferable Development Rights)。国内では東京都の特例容積による「東京駅」の保存・復元プロジェクトが有名。また、特定街区による日本橋三井本館の保存についても広義の容積飛ばしと解釈できる。ただし、この方法だと歴史的建造物は確かに守られるが、すぐ隣若しくは周辺に目障りな超高層ビルが建つことになるわけで、本当にそれで良いのか評価するのはかなり難しい。

[参考文献・サイト]
1) ウィキペディア「公団住宅」
2) 広島市南区みどころガイド
3) 広島県住宅供給公社(1971)「20年のあゆみ」
作成:2006/5/12 最終更新:2008/4/10 作成者:makoto 使用カメラ:NikonD70
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