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かつて繁華街であった土地の記憶を唯一伝える遺構
DATA
■設計:増田清
■所在地:広島市中区中島町
■建設当時の用途:呉服店
 現在の用途:観光案内所
■竣工:1929年(昭和4年)
■構造:RC造地上3階地下1階
付近の地図(mapion)
現在の平和公園にあたるエリアは中島町と呼ばれ、戦前の中心市街地である(photo#2)。大正屋呉服店(大阪本店)は元々現在の位置から川を隔てた対岸にあったが、1929年にこの地へ移転してきた。木造低層家屋が建ち並ぶ中に突如出現した鉄筋コンクリート建築であり、屋上に上れば市内が一望できたという。内部はショーウィンドウのある売り場で、土足で入ることができた。当時の広島では革新的な店舗であった。

しかし戦局が悪化の一途をたどった1943年12月、繊維統制令により呉服店は閉鎖となってしまう。建物は県燃料配給統制組合が買い取り、名称も「燃料会館」となった。この例に限らず耐火建築には物資統制のための国策会社が多く入居していたようである。

設計者は当時大阪を拠点に活動していた建築家増田清(1888-1977)。広島では「本川尋常高等小学校(1928年・一部現存)」、「広島市役所(地下室の一部のみ現存)」等の作品を残している。また増田は構造の専門家としての顔も持ち、RCの耐震性の検討や施工上の問題などに関する論文も執筆している(3)。彼が注力したこれら3つのRC建築は産業奨励館とは対照的に被爆時の強烈な爆風に耐え抜き、戦後の長きに渡って使われ続け、その耐久性を証明してみせた。燃料会館の場合は、爆心地から170mという距離にありながら大破全焼しつつも倒壊は免れた(photo#4)。これはRC造という構造もあるが、爆心地側(すなわち元安川の方向)に開口部が少なかったという事情もあろう。

戦後もしばらくは燃料会館として使用されたが、1957年に広島市が買収し戦災復興区画整理事業の事務所「東部復興事務所」となった。さらに1982年からは観光案内所に改装され現在に至っている。内部は全焼してしまったため面影を残していないが、地下室だけは被爆時のまま残されており、時折、平和学習の用に供されている。
広島市レストハウス / 旧大正屋呉服店
Tourist Info. Center / Old "TAISHOYA" Kimono Shop

#1:
レストハウス前の道路は唯一残った旧中島地区の街路だ。

#2:被爆前の中島町(1)
被爆前、このエリアは中心市街地であった。川辺に建つ産業奨励館(A)、投下目標になった相生橋(B)、私(makoto)の母校である本川小学校(C)、燃料会館(D, 旧大正屋呉服店)が見える。

#3:丹下による平和公園(1)
平和大通り(a)と直交するように、資料館(b)、慰霊碑(c)を配置し、その延長線上には原爆ドームがある。さらに敷地には公会堂(d)が置かれた。中島町の面影を残すのは燃料会館(e, 現レストハウス)のみとなった。

#4:被爆直後の燃料会館(松本栄一氏撮影)(2)

#6

#5:元安橋方向から撮影
最近この建物の取り壊し論争が起き、擦った揉んだの末どうにか残ってはいるが、残念なことに被爆建築の喪失事例は後を絶たない。被爆建築の取り壊し反対運動の場合、その多くはイデオロギー的な主張を繰り広げるわけだが、私は例えば平和教育のために被爆建築を残すというのは、長い時を過ごしてきた建築を評価する一要素に過ぎないと思う(4)。もう少し広い視点として、本当に残り僅かになった土地の記憶・地霊を失うことは最早許されないということをぜひ多くの人に理解してもらいたい。広島デルタには江戸時代から受け継いだヒューマンスケールの街区・街並みの名残りがほとんど残っていないのだから、そのヒューマンスケールを感じさせる具体的な遺産は原則として保存するのが望ましい。地霊を継承せず抹消するという行為は、よほど説得力のある根拠がある場合を除いて、それが戦災であれ再開発であれ同様に罪深い行為だと思う。例えば駅前や段原について、事業自体の必要性は認めるが、安易に地霊を抹消しない工夫を盛り込んでもらいたいと切に願う。
[補注]
(1) photo#2, #3は平和記念資料館内にある模型を撮影したものである。
(2) photo#4は現地の案内板から取り込んだもの。
(3) 参考文献 2) に詳しい。
(4) 私はイデオロギー的な主張を批判するつもりも非難するつもりもない。単に古い建物であるだけでなく”被爆”建築であることを前面に出せば市民の意見集約が容易で、運動の成果が出やすいという側面があるからだ。ただ、保存が必要な別の理由もぜひ感じてもらいたいと思う。

[参考文献・サイト]
1) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp178
2) 石丸紀興, 李明(1999)「建築家増田清の経歴と広島における建築活動について」日本建築学会計画系論文集 No.525, pp327-334
3) 広島市+被爆建造物調査研究会(1996)「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島平和記念資料館

[行き方ガイド]
[電車]
広電「原爆ドーム前」または「袋町」から徒歩5分。平和公園の敷地内。
[バス]
「市民球場前」「紙屋町」など。平和公園の敷地内。

作成:2004/2/24 最終更新:2004/3/3
作成者:makoto 使用カメラ:Canon PowerShot G3
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