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欄干デザインは古びないが橋の老朽化は進む。
DATA
■欄干デザイン:イサム・ノグチ
■所在地:広島県広島市中区中島町
■用途:橋梁
■竣工:1953年
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丹下はノグチのデザインについて「伊勢を感じた」と書いている。丹下の言うところの伊勢とは、”わびさび”だの”もののあはれ”だのを言い出す前(つまり”和風”が確立される以前)の、エネルギーに満ちた日本のプロトタイプであり、自然への畏敬(アニミズム)を素直に(理屈をこねずに)表現した造形である。

ニューヨークで彼のデッサンを受けとったとき、コンクリート打放しの勾欄が、すばらしいスケールで彫刻されているのを見て、私は、何か伊勢を感じた。その後その橋の工事のために彼と広島を訪れたとき、私の陳列館を見て、彼は、伊勢の気持ちだと言った。ノグチさんのこの橋も伊勢の気持ちだったのだなと、私は苦笑せずにはいられなかった。(略) この太陽をかたどった橋は伊勢の力強さをもっている。
(「人間と建築-デザインおぼえがき」pp258より引用)


さて、二つの橋は今なお使われているが、その一方で広島市は架け替えを計画している。その理由は耐震性と幅員、つまり今のままでは阪神淡路大震災クラスの地震には耐えられないし、狭くて大量の交通をさばけない点にある。財政難のため架け替え時期は決まっていないが、末永くこのままというわけにはいかないだろう。CasaBrutus誌上で菊竹清訓は架け替えなどとんでもないと憤慨してらしたけど、地元民に言わせると、歩道は狭いし欄干は低いしで、特に自転車で渡ると正直かなり怖い。
ただし架け替えるにしても、欄干については保存して再利用、最悪でもそっくりそのまま復元するのが原則だと思う。

平和大橋
Two Bridges ("Tsukuru" and "Yuku") in Hiroshima Peace Park
平和公園の目前、幅員100mの平和大通りに架かる橋。既に着工されていた橋の欄干デザインについて建設省から相談を受けた丹下はこの仕事をイサム・ノグチに任せ、大谷幸夫がノグチのスケッチから施工図を起こした。

#1:平和大橋は平和公園から見て東側にあり、欄干も昇る太陽をイメージさせる。

#2

#3

#4:幹線道路の割に歩道が狭すぎ、欄干が低いので自転車で渡るとかなり怖い。
名称 平和大橋 西平和大橋
モチーフ 太陽? 月?
ノグチによる
命名
初期 Tsukuru (To Build) Yuku (To Depart)
後期 Ikiru (To Live) Shinu (To Die)
#5:二つの橋について
[参考文献・サイト]
1) 丹下健三+淺田孝+大谷幸夫(1954)「廣島計画」 新建築 1954年1月号
2) 丹下健三+藤森照信(2002)「丹下健三」 新建築社 pp130-169
3) 丹下健三(1970)「人間と建築-デザインおぼえがき」 彰国社 pp246-262
4) 建築マップ「平和大橋・西平和大橋」

[行き方ガイド]
[電車] 広電「袋町」。平和公園に隣接。
[バス] 未調査
作成:2005/9/20 最終更新:2006/7/30
作成者:makoto 使用カメラ:NikonD70
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