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幻となったイサム・ノグチのプランは
慰霊か平和かという根本に帰結する。 |
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DATA |
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■設計:丹下健三
■所在地:広島市中区中島町
■用途:記念碑
■竣工:1985年3月
(初代は1952年8月竣工)
■構造:石造(御影石)
■付近の地図(mapion) |
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さて、この碑を語る際に重要なのはイサム・ノグチによる幻のプランの存在だ。
平和公園全体の設計を担当した丹下は当初、平和大橋の欄干デザインに続きこの慰霊碑もノグチに任せようとしていた。
丹下の文章から引用すると…
(略)− 彼はただちに、わたくしたちの作業場にきて、何かに憑れた人のように、粘土とたたかいはじめた。地表に現われる部分は小さいものであったが、おおらかな気宇が溢れているものであった。古代日本の玉のようなもののなかに、彼のプロトタイプが見出せそうに思われた。
(雑誌「新建築」1954年1月号より引用) |
ノグチが作り上げた造形は本人によると家型埴輪、丹下の印象では「古代日本の玉(勾玉?)」のような形であった。逆U字形のモニュメントの大部分は地下に埋められ祈りの空間が設けられていた。(図#3)
丹下は濱井市長(*1)の同意を取り付けてノグチ案を実現させようとしたが、平和記念公園の審議会から待ったをかけられてしまう。特に当時の建築界の実力者にして審議会委員でもあった岸田日出刀の反対は大きく、教え子である丹下に「君とノグチの友情とこのわれわれみなの気持、君はどちらかを選び、どちらかを捨てなければならない。」と迫った。
岸田の言葉を引用すると…
(略)− ノグチ案の審議にあたり、「この大切な記念施設のヘソに当る慰霊堂は、何としても日本人の手による作でありたい。しかも当代希にみるすぐれた青年建築家丹下健三が一等当選者となり、精魂を傾けてその計画設計に当るべき慰霊堂の設計を、何を好んでアメリカの彫刻家イサム・ノグチにやってもらう必要があるのか?」 とわたくしは熱心に強く主張した。
(岸田日出刀 著「縁」より引用) |
「平和記念資料館」で書いたように、この平和公園の目的は「慰霊」と「平和」の二つある。前者は過去の人を弔うことであり、後者は未来の平和を祈ることである。「平和」については日米合作でもインターナショナルスタイルでも良いが、「慰霊」ではそうはいかない。イサム・ノグチは日系人とは言えアメリカ人であるから、慰霊碑のデザイナーには不適格である…。岸田を始めとする反対派の主張はそういうことだろうと思う。
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平和公園慰霊碑
Memorial Monument in Peace Park |
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| 平和公園の中心、平和記念資料館から原爆ドームに伸びる景観軸の上にある慰霊碑。平和公園コンペ時の案ではこの場所には巨大なアーチが架かる予定であったが到底実現できるものではなく、最終的にこのような小さな慰霊碑に落ち着いた。 |
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#1:市内でもここだけは相応の人手と予算が投じられ緊張感を保つ。碑の背後の池は碑と原爆ドームとの間に人が立ち入らない(ヴィスタを保持する)ための工夫だ。 |
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#2:原爆ドームが見える。 |

#3:イサム・ノグチのプラン模式図 |
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#4:ゲートとしての平和資料館をくぐるとこのように見える。 |
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結局丹下がノグチと同じ逆U字のプランでデザインをやり直し、慰霊碑は1952年8月に竣工した。ノグチ案にあった地下空間は実現しなかった。
このエピソードについて、現在では”二つの祖国に翻弄された悲劇のアーティスト”的な取り上げられ方が多く、ノグチ案の良し悪しにはあまり話が及んでいない。
私は結果としてノグチ案は否決されて良かったと思っている。それは彼がアメリカ人であるからではなく、純粋に彼のプランが優れていないためだ。もしノグチ案が実現していたら原爆ドームへの視界が遮られ、ピースセンターのコンセプト全体が台無しになってしまっていただろう。 |
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[補注]
(*1) 濱井信三(1905-1968) 公選による初代広島市長で、丹下健三の構想を実現に導いた立役者でもある。在任期間は1947年4月〜1955年4月、1959年5月〜1967年5月
(*2) 初代の慰霊碑(コンクリート製)は老朽化に伴い1984年12月に解体された。現在見ることができるのは2代目にあたる。
[参考文献・サイト]
1) 丹下健三+淺田孝+大谷幸夫(1954)「廣島計画」 新建築 1954年1月号
2) 丹下健三+藤森照信(2002)「丹下健三」 新建築社 pp130-169
3) 宮本和義+建築知識編集部 2002 「中国・四国を歩こう!建築グルメマップ2」
エクスナレッジ pp9
4) 広島市+被爆建造物調査研究会(1996)「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島平和記念資料館
5) 岸田日出刀(1958)「縁」 相模書房 pp83-87
6) 被爆50年記念史編修研究会(1996)「被爆50周年 図説広島市史 街と暮らしの50年」
[行き方ガイド]
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[電車] 広電「袋町」「原爆ドーム前」。平和公園の敷地内。 |
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[バス] 未調査 |
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作成:2005/12/20 最終更新:2007/1/5
作成者:makoto 使用カメラ:CanonPowerShotG3 |
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PEACE CENTER INDEX |
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| (CC) arch-hiroshima 2006 |
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