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戦後設計されたRCアパートのプロトタイプ。その貴重な生き残り
DATA
■設計:不詳
■所在地:広島県広島市中区昭和町
■用途:集合住宅
■竣工:1949年(昭和24年)3月
■規模:
■構造:RC造4階
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京橋川に面した市営住宅。復興の足取りもおぼつかない昭和24年に出現したRC造の集合住宅であり、竣工当初は大きな注目を集めた。「平和アパート」というネーミングにも時代が現れている(*1)。 広島人にはおなじみの詩人、峠三吉(1917-1953)もこのアパートの住人で、「河のある風景」という詩は部屋から眺めた京橋川を詠んだものとされている。

終戦直後の日本で最大級の問題、それは住宅難であった。全国各地で粗末な木造の公営住宅が建てられたが全く足りず、都市部ではバラック暮らしをする人も多かった。そのような状況にありながらも、戦災復興院(*2)が中心となって東京・高輪に戦後初のRCアパートとなる「高輪アパート(1947年)」が実験的に建設され、不燃住宅の道を開いた。翌1948年に計画された一つがこの平和アパートである。俗に「48型」と呼ばれてはいるが、設計自体は高輪アパートとだいたい同じであるので、平和アパートは戦後設計された初のRCアパートと言っても大きく間違ってはいない。
ちなみに、1949年からは公営住宅標準設計というものが毎年作られるようになり、全国各地に同じ形のRC公営住宅が建てられていくことになる。ちなみに1950年度の公営住宅標準設計「50型」で建てられたのが若草アパート(現存せず)や高須アパートである。

さてさて、築60年のアパートは大幅に手が加わっているものの現役だ。既に高輪アパートは解体されたので、現存する戦後のRC公営住宅では最高齢とみていい。
現代の集合住宅設計では、容積対象外部分を上手に使いながら高く売れる床を多く作ることに注力する(*3)が、当時は容積率などはどうでもよく(*4)、いかに専有面積を確保しつつ施工床面積を減らすかが勝負であり、そのためかこのアパートにバルコニーは存在しない(*5)。だがデザインとしてはバルコニーは無いほうがファサードがすっきりして好ましい結果になることが多い(と私は思う)。また、増築によってよりモダニズムっぽい外観になった棟もあり、これはこれで鑑賞に耐える。

ともかく、国内でも特に甚大な被害を被っていた広島の地で、戦後2番目の早さでRC公営住宅が建ったという事実に感銘を覚えずにはいられない。無名だが歴史的価値の高い建築と言えよう。

平和アパート
Heiwa Apartment House
[注意!] 住民および近隣の方に迷惑となることのないよう、見学は外観のみにとどめてください。

#1:増築とリニューアルが重ねられており、当初の面影はない。

#2:増築によって、よりモダニズムっぽい外観になった。

#3:南側の棟はオリジナルに比較的近い外観。
[補注]
(*1) この事例に限らず広島では「平和○○」という名称を頻繁に見かける。
(*2) 戦災復興院は後に建設省となり、現在は国土交通省となっている。
(*3) 最近流行のタワーマンションはひたすらに効率を追求した現代集合住宅の極地と言える。(良い意味でも悪い意味でも)
(*4) そもそも当時は容積率という制度が存在していなかった。
(*5) 公営住宅標準設計「49型」や「51型」にはバルコニーが見られる。
作成:2007/5/7 最終更新:2012/2/4 作成者:makoto 使用カメラ:Nikon D90, D70
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