
ジブリ美術館。敷地内は撮影禁止なので写真はこれだけ。 |
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「三鷹の森ジブリ美術館」に行く。
宮崎駿氏は史上最強クラスのオタクであると思うが、何事も極めると恐ろしいもので、ついにこんな美術館まで建ってしまった。
<建築家と違う建築デザインのアプローチとは?>
この施設、ジブリ作品というソフトを抜きにして建築だけ取り出してみてもなかなか出来映えがよい。建築家とは違うアプローチで空間デザインをしたことが功を奏していると思う(施工用の図面は設計会社が担当した)。
私が推測するに、宮崎氏が描いたのは建築の図面ではない。アクソメやパースでもない。駆け回る子供達と、それを包み込む「舞台・セット」としての建築を合成した、絵、いや映像であると思う。氏はあくまで映像作家であり、映画の主人公たる子供の動きが最も映えるようなシーンを切り取るための背景を構想したのだ。建築デザインの分野でももちろん人間を入れたイラストを描くが、多くの場合スケールが目的であり(タバコ箱と同じね)、そのヴィヴィットさにおいて第一人者である氏にかなうはずがない。建築家にとって建築空間が主で人間が従となるのは職業柄やむを得ないことで、それを批判するつもりは全くないが、「使われ方を熟慮してからデザインすれば良い建築になる確率が高い」 と信じる私としては、こういった部外者の提案はぜひ受けとめて欲しいと思うのだ。 |

フンデルトヴァッサーハウス(ウイーン)。市営住宅だが、観光地と化している。 |
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<似た事例との比較>
−フンデルトヴァッサーハウスとの比較−
部外者が作った建築として思い出されるのは、フンデルトヴァッサーハウス(ウイーン)であろう。だが、フンデルトヴァッサーは画家である。これは住人の生活の営みというシーンを演出するためのセットではなく、彼の描いた絵を建築にしてみたというのが正しい。「作品」であることが主で、「機械」であることは従だということだ。確かに色の使い方とかグニャグニャしたところは似ているが、ジブリ美術館とは根本的に違う。
−ディズニーランドとの比較−
ディズニーランドとジブリ美術館。両者の生い立ちに共通点は多い。どちらもアニメ人気を追い風に、映像作家が構想し、アニメの世界を実体験する施設として誕生した。両者の決定的な相違点は、もちろん商業主義だ。ディズニーランドはホスピタリティに気を遣ってはいるものの、どうやって”ゲスト”から金をむしり取っていくか画策していることに変わりない。一方こちらは、「美術館」の名を冠しているだけあって、宮崎氏の世界を味わわせる機能に徹している。(※1)
もっとも、来場者はあまり差を感じていないらしく、大人たちはグッズショップに群がって土産物を買い漁るが、ショップが賑わうのは宮崎氏の本意ではないと私は推測する。
商業主義の有無は実際の建築に大きく影響する。この場合、商業主義が薄いことが幸いして、高コスト体質でも成立してしまっていると見受けられる。どこが高コストかは実際に現地に行って体験してもらうしかないが、要するにダマシが無いのだ。屋上のロボット兵は金属製であるし(触感や質感がまるで違う)、木製サッシやステンドグラスも豊富に使われている。さらにエントランスにはフレスコ画まである。館内は一点物だらけであり、考えるのも恐ろしいほどの高コスト建築だ。(※2)
来場者が直接それに気付くかどうかはどうでもよく、要は宮崎氏の自己満足に帰結するのだが、結果として高コスト体質が「ウソっぽさ(※3)」を消す効果を上げ、氏の世界を伝える役割に耐え、ファンの期待を裏切らない仕上がりとなった。
ただし、建設から時間が経っていないため、建材が持つ質感がまだ出てきていない。ロボット兵も風雨にさらされてボロボロになったころが見頃となろう。数十年後が楽しみだ。
<美術館の新たなスタイルとして>
アニメの制作過程を追っていく展示室は、映像作家の仕事部屋にお邪魔して見学させてもらうというスタイルを貫いている。空間としては多分に演出されたものだが、そこに置かれた道具類や原画などは実際に使用されていた本物であり、ケースに入っているわけでもなく、その多くを間近に見ることができる。「触らないで下さい」という表示はあまりなく、代わりに職員を配置して見張らせている(もっとも、彼らが来場者の行動を制止する様子はなかった。窃盗防止が主目的と推測する)。
このスタイルを実際に体験してみると、「柵がないけど、ここまで入ってしまっていいのかな?」 「触るなと書いてないけど、これは触っていいのかな?」 という判断を迫られることになり、少々疲れた。
ただしそんなことを考えるのは大人であって、主賓である子供はお構いなしだ。
私の前にいた子供が部屋の片隅に転がっている(展示してある?)アクセサリーに興味を持って触れようとし、「触るんじゃありません。」と母親が止め、さらに母親を遮って職員が「これがいいの?」と言ってそのアクセサリーを子供につけてあげる…。宮崎氏がこのシーンを見たら「してやったり」と思うに違いない。
もちろん、館内が大混雑しているとこういった空間体験はできないわけで、予約入場制の有効性を改めて実感した。
<子供が主役であること>
子供がどんな顔をして展示に見入るかまで映像として想像してから空間をデザインした(と思われる)だけあって、配慮が行き届いている。チケットブースに踏み台があるのは初めて見たし、子供しか通れなさそうな「秘密の通路」も設けられている。実施設計の段階で氏のコンセプトはかなり薄められていると思うが、それでも大人より子供を優先していることは伝わってくる。
館内の案内が平面図でなく断面図なのも目新しい。断面図では部屋の大まかな配置しか分からないので、歩いて探すことになる。大人が順路通りにナビゲートするのではなく、子供が勝手に探すことを期待しているのだと思う。
<緑の取り入れ方について>
ロボット兵が立つ屋上は当然緑化されている…というか、草原になっている。それ以上に素晴らしいのが、周囲の緑の取り入れ方だ。基本的に敷地内の大木は残され、周囲は井の頭公園の深い緑。これなら「森の中の美術館」を名乗ってもよいだろう。パティオでの緑の配置も必見。ヨーロッパの中庭(←大ざっぱな表現でしょ)を宮崎氏がどう解釈したか窺えて興味深い。
実はこの建物が建っているのは井の頭公園の中。それ故公共地の活用事例としても注目できるのだが、既に話がまとまってないので、その話題はまた別の機会に。
※1
当該敷地は都市公園であり、建物は三鷹市の所有であるので、現状以上に商業主義に走ることは難しいであろう。
※2
高コストを覚悟の上で本物にこだわった事例としては「ハウステンボス」が思い出される。その思想は決して間違っていないと思うが、根本的な問題として、施設があまりに過大であったのと、施設の中身を彩るソフトウェアが欠如している点がある(例えばオランダを再現するなら、そこら中にオランダ人が歩いていなくてはならないが、そんなのは無理。ちなみにディズニーランドではそこら中でミッキーが歩いてます)。 建築としては、残念ながら「所詮はレプリカでしょ?」 という評価を乗り越えるだけの出来映えではない。
※3
フィクション作品を現実世界に持ってきた場合に、それを人間の五感がホントっぽいかウソっぽいか判定するという意味。架空の存在であるロボット兵やトトロに本物も偽物もないはずだから。
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