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寝不足のまま六本木へ。 南北線の「麻布十番」駅で降りて、麻布十番商店街から六本木ヒルズに向かう。

ここで両親(東京観光中)と合流して、六本木ヒルズ内で開かれている「世界都市」展へ。朝9時の開場と同時に入ったので人もおらずじっくりと見学することができた。この展覧会では、六本木ヒルズという再開発事業を紹介し、東京の高容積化を提案(というか要求)する。展示の目玉は世界の都市模型だ。以前三菱地所が作った千代田区の模型を見たことがあるが、こちらはさらに規模がでかい。
森ビルという会社は社員に教義への絶対服従を要求する一種の宗教だと私は思うが、教義自体はしっかりしているし、この展覧会を含めプレゼン(=布教)のやり方は実に巧みだ。ただその教義には賛同できないけど。
 (模型は撮影禁止なので写真はありません)
敷地内で気になったのがこの池。従前の土地利用の断片を残すことが目的ということだが、達成されているとは言えない。ここまで大規模にやってしまうと地霊(土地の記憶)に配慮するのはやはり無理なのだろうか?

敷地内の「香港茶楼」で昼食。「チャーシュー丼」を食べた瞬間、そういえばシンガポールのフードコートで食った飯はこんなだったなぁ と記憶がよみがえってきた。
日曜ということもあって、敷地内は本当に人が多い。あと警備員とかクルーとかもアホみたいに多い。ただし買い物袋を持った人は少なく、とりあえず覗きに来た人(=お金を落とさない)が大多数のようだ。
ここで両親と別れて、今度は国立へ。
東京ランポ主催の「国立景観ツアー」に参加し、現地を歩いた後に景観紛争当事者のお話を伺った。文献にはない生の声を聞くことができ、都市景観を考える身として得る物が多かった。
国立という街は日本有数の景観資産「大学通り」を持ち、国内では通常考えられないくらい住民の景観意識が高い。住民自らダウンゾーニングに取り組み、歩道橋一つ設置するだけでも大騒ぎになる。普通「歩道橋は児童の安全のために必要だ」と言われれば誰も反対できないと思う。それだけ意識が高いということだ。

(これが大学通り。正面が国立駅)

(桐朋学園から明和マンションを望む。大学通りに面してない部分に撤去命令は出ていない)

(明和マンションの前に市が設置したパネル)
マンションデベもこういったことは当然知っており、景観紛争を恐れてこのエリアへの進出には二の足を踏んできた。明和地所は紛争を予測し、最初から周辺住民との対話を一切行わない方針で乗り込んできた。この裁判の経過については「考える会」のサイトを見て頂きたい。
この紛争の隠れた当事者は東京都の建築確認部局で、「(1)この物件が紛争中である(2)高さ規制を定めた地区計画がまもなく制定される」ことを知りながら、業者の求めに応じて迅速に確認申請を通した…と「考える会」は主張する。だが、確認部局は書類が揃っていれば申請を通さなくてはならないのだから、業者からの求めで迅速に通したとしても、住民からの求めで遅滞させたとしても、どちらにしても問題なのだ。つまり、建築確認には指導機能が無いことが改めて示されたわけで、新たな組織を置く必要性を再確認できたと思う。その組織とは、例えば景観条例による景観協議部局だ。現状では協議といっても”命令”はできず”要請”であるが、近い将来成立すると思われる景観基本法(仮称)によって景観条例が担保されれば、地区計画並みのパワーをもって景観協議に当たることができる。今後はこういった流れで景観形成に道が開けると期待する。
ところが、この判決は、そういった流れのさらに先を行っている。
判決に関しては原典を読んでもらいたいのだが、重要なポイントは、「合法建築であっても、撤去を命じることできる」 という点にある。第1審とはいえ、業者的には”過激”住民的には”画期的”と言える判決だ。たとえ今後二審以降で住民の逆転敗訴となったとしても、デベや行政に与えたインパクトは本当に大きい。
・建築基準法とは、最低基準を担保する法律である。(←この見解も重要)
・住民は景観のために自らにとって不利なダウンゾーニングを実施した。
・事業者は「景観の良さ」を前面に押し出してマンションを売り出した。
・従って建築基準法を守っているからといって景観権を侵害するのは違法である。
財産権の切り口から考えると、住民自らダウンゾーニングによって土地の資産価値を高めているのに、マンション建設で景観を壊してしまうと、その資産価値を落としてしまう。これは財産権の侵害である…とも言えよう。とにかく、合法でもフリーライダーは許さないということだ。
もし明和マンションがふつうの街にできたとすると、日照の問題がせいぜいで、反対運動はごく少数の住民。大多数の人々はちょっぴり不満を感じるけど”あきらめ”がいいのでアクションを起こさない…となるであろう。国立のように市長が交代して徹底的に戦うことはあるまい。これは日本の都市景観が既に乱れきっており、感覚がマヒしているためだと思う。このように景観意識が特に高い国立の地で、明和は歩み寄るフリをして反対派を瓦解させる戦術をとらず(この辺りが明和の愚かなところなのだが)、力による全面対決を選び、結果的に住民の結束を強め、ある意味”ありえない”判決に結びついた。私はこのパラダイムシフトが起こるべくして起こったのだという”宿命”を感じる。
関連サイト
・東京海上跡地から大学通りの環境を考える会(http://www.kangaerukai.com/)
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ツアーの締めくくりは討論飲み会。
当然のように終電で帰宅。
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