|
|||||||||||||||
| 作家性が強すぎる公共建築は、時に悲劇的ですらある。 |
(以下の文章は完全に主観に基づいているので注意して頂きたい。) 氏が以前に設計した京都駅の駅舎は、その高さを巡って景観論争を引き起こした。だが重要なのは高さではなく何が”京都らしさ”なのかという点にあると思う。その意味で京都駅は京都らしいとは言えない。つまり、あの建築が京都駅でなく名古屋駅であったとしても何ら差し支えないということである。また、滞留する場としての駅のスタイルを提案したということになっているが、落ち着いてよく見ると、実は従来の駅ビル像を覆すものではなく、単に巨大で奇抜な造形ということに終始しているように思える。 建築家は施主の意向や予算という制約条件の中で仕事をせざるを得ないという事情を考慮したとしても、この校舎からは単に「新しくて豪華で作家性全開の作品」以外の印象を受けない。今後発生する維持管理コストも心配である。 一方、造形物として優れているかの評価は人それぞれだと思うが、やはり氏の他の作品同様、極めて作家性が強い、いわば巨大な彫刻作品に終わっているというのが私の率直な印象である。巨大彫刻を山奥に作るのは自由だが、須く調和が求められる都市の中にこういうのを作るのは好ましいとは言えない。もちろん”斬新”な建築を建て都市景観に新風を吹き込むことは必要だが、”斬新”にもやり方というものがあり、何をやってもいいというわけではない。基本的にアトリエ系有名建築家は(どんなに本人が否定しようとも)使い勝手よりも作家性の最大化に傾くのが常であるので、「斬新」とか「景観に配慮」とか「古いものと新しいものの共存」といった言い訳に騙されてはいけない。 そもそもP&C事業は「設計入札」という悪しき制度を部分的にでも改めるのが狙いであるのに、作家性を強めすぎて建設費・維持管理費がかさみ、それに納得できない市民が増えてしまうと、また設計入札に逆戻りしてしまうのではないか。私が最も心配するのはその点にある。 「ちょっと割高だけど、こんな良い建物ができるならいいや」と、大多数の市民を説得できる建築にする作家性のバランス感覚を持った建築家を選定すべきだった。何事もやりすぎは禁物である…。 |
||||||||||||||
| 広島市立基町高校 Motomachi Highschool |
|||||||||||||||
| 広島市立基町高等学校(以下「基町高校」)は広島城址および基町アパートに隣接しており、「ひろしま2045ピース&クリエイト(P&C事業)」(1)の一環として改築された。 | |||||||||||||||
|
|||||||||||||||
| [補注] (1) 2045年を目標とし、後世に良好な景観・建築物を遺すことを狙った広島市のプロジェクトで、1995年にスタートした。後に「ひろしま2045:平和と創造のまち」と改称され現在に至っている。 [参考文献] 1) 原広司(2000)「学校におけるトラヴァーシング」, 雑誌 新建築 2000年7月号, P152
|
R>
|||||||||||||||
| (C) Copyright 1998 FORES MUNDI All Rights Reserve$ | |||||||||||||||